送り太鼓
昨日、さる方のお通夜に出席した。
13年前、「ようそろ」が初めてライブをやった沼津市大岡の「コーログランデ」のオーナー・館長のIさんである。
Iさんの娘さんご夫婦に「ぜひ演奏して欲しい」と言われ、葬儀場に太鼓を持ち込んだ。
昔話になるが・・・
まだ学生のころ、教員になる気満々で行った教育実習先の小学校の校長が、Iさんであった。
美術の先生で、教師というよりアーティスト色を感じさせるI先生は、朝礼でも会議でもあまり多くを語らない方であったが、提出した実習ノートに赤ペンで書いてくれるコメントは、心のこもった重みのある言葉だった。
そんな先生に実習も終わりが近づいたある日「んー、君は教師にならんかもな」と言われたことを覚えている。
先生の予感は的中し、俺は「太鼓奏者」としての道を選択した。
その第一歩となる「ようそろ」の初ライブの会場が、奇しくも「コーログランデ」となったのである。
まだ右も左もわからず、ただただ舞台に立ちたい気持ちで一杯だった俺に
「んーいいんじゃないの。あとは二人(娘さんご夫婦)と話して」
と言って、いそいそとご自分のアトリエに去っていかれた。
コーログランデでは、3年連続でライブをやらせていただいた。
あのライブがなければ、今の自分もようそろも、なかったと思う。
その後直接お会いする機会がずっとないまま、10年経ってしまった。
突然の訃報はとても驚きだった。まさかこんな形での再会になるとは。
1年以上の闘病生活を文字通り全力で送ってこられたご遺族のみなさんは、とにかく明るく送り出そうと振舞われておられた。
大太鼓の演奏に、「然(さ)らば」という木遣りの一節をのせて捧げた。
I先生が演奏を喜んで下さったかどうかは確かめようもないが、少なくとも遺族の方々は温かく受けとめて下さったようだった。
13年前の初ライブのとき、I先生が色紙にしたためてくれた言葉がある。
その言葉を傍らに置いて、演奏した。
「凛とした和太鼓の響きの中に乱舞する若者達の姿が見える。
伝統という思い絆を背負いながら、明けてゆく未来の先駆けとして懸命にバチを握る彼らに、心からの声援を贈る。
平成13年 コーログランデ館長 I」
いただいてからずっと稽古場に掲げてあるこの言葉。
あらためて胸に刻み、歩んで行こうと思う。
- 2014.09.24 Wednesday
- 16:21
- 太鼓担ぎ旅
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